中国大陸への過剰な派兵は
中国大陸への過剰な派兵は悪戯に国力を消耗させ、中国大陸を巡る利害衝突から米国との関係を悪化させたのみならず、駐留部隊の糧秣確保を優先して無思慮な徴発を繰り返したために華北の占領地経営を失敗させ、中国共産党の勢力拡大を許し、資源・技術の多くを依存していた米国による経済制裁・禁輸措置を招く原因となった。
日中戦争(支那事変)の長期化・戦線の拡大に伴い師団の増設が相次ぎ、昭和12年(1937年)からは留守師団を元に百番台の特設師団が設けられた(第101師団など)。また、昭和15年(1940年)8月から8個常設師団が満洲国に永久駐屯することとなり、戦線の規模が拡大したため、軍の上に方面軍や総軍が設けられるに至った。
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また、この時期の米国を始めとする諸国では自動車産業が飛躍的な発展を遂げており、各国軍の機械化水準は日本陸軍を追い越して行き、ノモンハン事件の頃には後発で大粛清により軍の機能が低下していたソ連にまで追いつかれている事実が明らかとなった。
第二次大戦で独軍が展開した電撃戦の影響で各国の機械化は更に進み、米国との関係悪化と満洲事変以来の国際的孤立状況下にあった日本は、技術的な遅れの挽回も、資源の確保も困難な状況に置かれ、従来の英米との協調から独伊との同盟へ活路を求めて傾斜した。